ゲンバリミックス(中之島コミュニケーションカフェ会場デザイン)<2006年—2007年>

ゲンバリミックス(中之島コミュニケーションカフェ会場デザイン)<2006年—2007年>

2017/10/17firstview風景をつくる

ゲンバリミックス(中之島コミュニケーションカフェ会場デザイン)<2006年—2007年>
Genba Remix /Nakanosima Communication Café Space Design
未完の風景
ー何もない状況など実際にはない。何もないと思い込んでまなざしを向けているだけだー

想像力を膨らませるには未完成の方が良い。
まだ答えが定まっていないので、人々は可能性を語りだすからだ。
そのコミュニケーションは前向きであり未来に向けられている。
全てが綺麗に仕上げられた風景は想像力を限定してしまうことがある。
街の中の施設の多くは、私たちが使用できる状況になった時にはすでに完成している。
その建設や途中のプロセスについて私たちはまるで知らないことが多い。
誰かが作って完成したものを手渡されて、ただ享受するだけになりがちだ
しかしそうやって与えられるだけだと、愛着はそれほど湧かないものだ。
その場所がまだ未完成な状態の時を目にする方が、完成した時の想像力が膨らむ。
それでついに完成した時には、我が子が生まれるのに似た愛着が高まるというのは大袈裟だろうか。

げんばりみっくす

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)にいた頃に、地下鉄の工事現場で実験的なイベントを行う機会があった。
その駅は「難波橋駅」という名前で、大阪の中心部にある中之島という川の中洲に作られる駅だった。
中之島は多くの人が訪れる人気の場所となっている。
市役所や図書館、中央公会堂や東洋陶磁美術館、中之島公園などがあり文化的な空気が流れる場所だ。
そこに、地元の電鉄会社である京阪電鉄が「中之島新線」という地下鉄を2008年に開業したのだ。
東西3㎞ほどのエリアに、4つの駅が設ける予定になっていた。
その一番東に位置する「難波橋駅」は中之島公園の中に作られる予定だった。
難波橋駅は出口を出ると近代建築の中央公会堂が目の前に見える象徴的なロケーションにある。
しかし実は当初から京阪電鉄はこの駅の建設については課題を抱えていた。
なぜならこの難波橋駅の周辺には、歩いて5分圏内ぐらいに主要駅がすでに二つもあるからである。
乗降客数だけを考えると駅を作る意義をなかなか見出しにくい場所であった。
そこで2005年に京阪電鉄からCSCDに、相談が持ちかけられたのである。
駅を単なる電車の乗降という機能的な目的からコミュニケーションの場へと変える。
そんな問いかけとしてぼくたちは捉えていた。
それでこの駅を一つの実験場にして仕掛けを模索することになった。
早速、平田オリザ氏を中心に、僕が所属するアート領域のスタッフを中心にチーム編成がなされて検討に入った。
最終的にぼくたちが提案したのは、駅の開業までの2年間に実験的なイベント入れることだった。
ここで様々なコミュニケーションのプログラムをショーケースとして展開する。
そしてそれを多くの方々に見てもらうというイベントの企画だった。
その会場として、まだ地下鉄工事を進めている駅の工事現場を一時的に開放することを考えたのである。

京阪電鉄を中心に「中之島コミュニケーションカフェ」という実行委員会が立ち上げられた。
私たちCSCDに加えて、パフォーミングアーツに取り組むNPOのダンスボックス、大阪市立大学の都市研究プラザも加わって、様々な主体で行うことになった。
ぼく自身の役割は全体のプロデュースのチームとして企画を練ること。
それと同時に会場空間のランドスケープデザインをするということだった。
地下鉄の工事現場に大勢の人々を入れて、イベントをするなど前代未聞である。
イベントのための設備など何もないような場所で、本当にそんなことができるのかという危惧もあった。
会場のデザインをするといっても、実際に地下鉄を掘っている最中の工事現場である。
現場には工事資材がたくさんあふれていて、そこでの制約もたくさんある。
その中でステージやトークイベント、展示や映像上映、動線処理など様々な条件を満たす必要があった。
それに加えてこの場に訪れた人々にとってまなざしが変わるような体験をぼくは考えたかった。
人生の中で地下鉄の工事現場に入る体験などはほとんどないだろう。
工事現場の中の様子を目にすること自体が、特殊な風景に入っていく体験である。
しかしせっかく訪れた場所が工事現場らしくないような設えになっていた興ざめしてしまうだろう。
だから場所のデザインを進める際に、出来る限り“工事現場にあるものだけを使う”ということを考えた。
現場にあふれているたくさんの工事資材は、よく見ると面白い形をしている。
日常生活で見かけないこうした資材がたくさん置かれている状況こそが、工事現場らしさを生む。
そしてこうした資材は用事が済めば、また別の工事現場に行くのだ。
だから工事現場の風景というのは、常に未完成で一時的にしか現れない。
その場所の印象をそのまま残した状態で、場所をデザインしたいと考えたのだ。
だからここでは現場資材を「組み替える」だけで風景を作れないかと考えた。
例えば、現場に積み上げられた1600個ほどの土嚢袋は、客席として並べて形を作ることにした。
巨大なH型鋼の鉄骨を組み合わせるとベンチとなる。
クレーンもイベントのバナーを吊るす支柱とした。
小型のショベルカーは入り口をくぐり抜けた場所に第2ゲートとして設置した。
土を削り取るバゲットの中には投光器を仕込んで照明へと変えた。
工事現場にある資材運搬用のカゴ車の中にパイプをたくさん詰めて工事用の投光器を中央に入れる。
そうすると光が拡散するいい感じの間接照明が出来上がる。
チューブライトと呼ばれる資材には赤いホースのような管の中に電球が入っている。
それを中央の樹木に輪っかのようなオブジェとして括り付けることにした。
工事現場用の仮囲いの巨大なシートをスクリーンとして利用して、映像のプロジェクションをした。
そこには地下鉄工事の掘削の様子を映し出す。
工事用の単管パイプで組み上げて、入り口の特設ゲートを設けた。
そこにサインとしてヘルメットをぶら下げることにした。
これはこの工事現場に出入りする全ての工事業者が使っているヘルメットだ。
それを集めてきて色に応じて組み替えた。

その場所にある資材を全て、イベントのプログラムを支えるための「素材」として見立てる。
それをもう一度再編集、再構成するというデザインの作業は、音楽でいうリミックスに近い方法である。音楽のリミックスは元々の曲を、一度全て音源という素材に解体する。
そしてそれを組み合わせて新しい曲を作る。
そんな感じでこの工事現場では現場資材をもう一度その素材にして、新しく組み合わせて風景を作る。
だからぼくはこの作品を「ゲンバリミックス」と名付けることにした。
この「ゲンバリミックス」では、素材を足したり引いたりしているわけではない。
既にそこにある素材を組み替えるという方法を取っている。
しかしそれは単に模様替えのように配置を変えただけではない。
同時に素材を別の用途として読み替えている。
こういう方法は「ブリコラージュ」と呼ばれることがある。
ブリコラージュ(Bricolage)は、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが唱えた概念である。
既にその場所にあるものを組み合わせたり、組み替えたりすることで、その時の課題を乗り切る。
そんな方法を指してブリコラージュ、日本語では「器用仕事」と呼ぶことがある。
レヴィ=ストロースは、それを未開の部族達の持っている知恵として発見した。
例えば、ブリコラージュのわかりやすい例として料理を考えてみる。
シェフが料理を作る時には、先にレシピを綿密に立てる。
それに基づいてあちこちで最高級の食材を揃えてきて、適切な調味料を取り寄せて調理をする。
それに対してブリコラージュな料理とは、冷蔵庫を開けてみてから決める。
冷蔵庫に今ある食材と、棚に既に並べられている調味料を組み合わせて、美味しい料理を作る。
それはあり合わせの中で知恵を絞って工夫する創造性である。
物が少なかった昔はそういう知恵がたくさんあった。
何かの設計図に基づいて物をつくることをレヴィ=ストロースは「エンジニアリング」と呼んでいる。
近代以降の産業社会とはエンジニアリングを駆使する専門家が重要な役割を果たしてきた。
それに対してブリコラージュは、何かをする必要性が生まれた時に発揮される。
そこに既にあるものを創造的に読み替え、うまく乗り切る素人の知恵が中心になっている。
これらはどちらが良いという話ではなく考え方の違いである。
工事現場というのは、まさにそのエンジニアリングで全てが出来ていると言える。
一つの目的に一つの機械や資材があてられているのだ。
しかしここでは、そうした用途の記号を全て一度外して、単なる素材に戻している。
そしてイベントの用途に合わせてもう一度組み替えているのである。
素材自体は何も変わっていないので、一見すると工事現場のように見える。
しかしそこにあるものは全て記号が書き変わっているのである。
イベントに訪れた人々はそれに気づいた時に、モノの見方が変わる。
次から他の工事現場の資材を見た時には、これまでとは違った想像力が働くかもしれない。
想像力を豊かに持っていると、身の回りにあるものは何でも素材に見えてくる。
私たちは何か新しいことをするときに、何かを持ってきて0からスタートしようとしがちである。
しかし、その場所には必ず何かが既にあるのである。
何もない状況など実際にはない。
何もないと思い込んでまなざしを向けているだけだ。
「これが無いからできない」、「ここではそんなことは出来ない」と、ぼくたちはまなざしを塞ぐ。
しかし本当の創造性とは、全ての条件が与えられてから発揮されるのではない。
その場所に既にあるものをいかに条件にしていくのかが創造性なのだ。
だから閉塞した状況ほど「ここで何が可能なのか」を発見することが重要である。
可能性が開かれている方が想像力は膨らむ。
人々は可能性を語りだす時に想像力は発揮されるからである。