[009]「過去の常識にまなざしが固定されることが、かえって私たちを不自由にすることもあるだろう」
「まなざしのデザイン」第3章 幻想を見やぶる P43

私たちが最低限持ち合わせる常識とは
自分がされて嫌なことを
相手にあたえる”非常識”という言葉の
反対語として理解されるような
消極的なものでしかないのだろうか

常識は時間と空間と対象を含んでいる
世にある多くの常識は
特定の時代の特定の場所における
特定の人々に共有された認識であるので
“常”に”認識”を確認せねばならない

過去に常識として共有されたものが
まだこの先にも共有され続けるかどうかを
保証するものなどは何もないが
時を超え場所を超え違いを超えて
常に変わらない認識は確かにあるのだ

私たちが持つべき真の常識とは
全ては時とともに移り変わっていく
“無常”という認識である
それだけが私たちの存在の根底を
形づくる大切な認識のはずである

大きな摂理の中に身を投じ
移ろいを受け入れるのであれば
“常識”は”無常”識となり
私たちが見つめる世界を
必ずや自由にしてくれるはずだ

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